小学校の頃、私は鉄道が大好きだった。俗に言う「鉄チャン」という奴だ。
焼津に住む二つ下の従弟も、負けず劣らずの「鉄チャン」で、会うたびに「EF65が牽引するハヤブサがどうの・・・」とか「EH10のレールの継ぎ目音はこうだ・・・」とか、今にしてみれば相当マニアックでディープな話をしていた。
 静岡駅構内にて・・・汽車を見ていれば十分だった頃。
たぶん親に「いい加減にしろ!」と叱られぶそっくっている僕・・・
そんなある時、ささいな事で喧嘩になったことがある。
その原因は、「焼津駅には上下線別々のホームがあるが、清水駅は上下線一緒のホーム・・・だから、焼津駅の方がエライ!」と主張する従弟に対し、「清水には三保線がある。起点駅だから清水のほうがエライ!」とやり返した。
それをきっかけに、清水港線(三保線)を巡る口げんかの応酬が始まり、終いには取っ組み合いの喧嘩に発展し、双方痛み分けという結果になった。
私自身は、清水の中心地に住み、遊びのテリトリーは主に清水駅より北側に集中していた。そのため、清水港線を利用した思い出とかはまったく無い。 でも、「清水港線(三保線)」と聞くたびに、このラチもない喧嘩を思い出す。
さて、前置きが長くなってしまったが、先日ネットサーフィンをしていたら「思い出の鉄道線・国鉄清水港線」というタイトルのサイトを見つけ、そのページにアップされている昔の写真に触発されるかのように、その廃線跡を巡ってみようと思い立った。
清水港線の歴史などについては「思い出の鉄道線・国鉄清水港線」のサイトに詳しく書いてあるので、それはそちらに譲るとして、現在の清水港線の廃線跡はどうなっているかである。

それは清水駅の南側(はごろもフーズ本社近く)からエスパルスドリームプラザの間と、宮加三あたりから旧三保駅までの間は遊歩道として整備されている。
休日ともなると、多くの家族連れやジョガー・ウォーカーなどで賑わい、特にエスパルスドリームプラザあたりでは、産業遺跡とされたテルファーが異様なその鋼体をさらしながらも、家族連れの憩いの場となっている。

では、ドリームプラザと宮加三の間はどうなっているのか・・・

所々、駐車場などになったり、工場の敷地で通り抜けられない所などあるが、倉庫と倉庫、工場と工場などの間に挟まれた一本の筋として「いかにも鉄道が通っていた」と思わせる更地となり、そこだけ時間がゆっくり動いているような忘れられた場所と化している。


捨てられずに放置された廃棄物。
風雨にさらされた倉庫。

でも、それがかえっていい味を出しており、こんな場所でモデルさんを使った撮影会など行ったら面白い写真が撮れそうでもある。

巴川を渡る「可動橋」今はその面影すらまったく無い。 ただ、そこに昔橋があったと思わせる護岸のコンクリートが三保のほうに残っている。

この先しばらくは、工場の敷地などで廃線跡をたどれない所もあるが、少し先の宮加三から遊歩道として整備され、三保へと向かう。
旧折戸駅の跡は公園として生まれ変わり、説明文だけがその名残を示し、昔の面影は姿を消している。
線路の跡はレンガ敷きの遊歩道。
枕木を支えたたくさんのバラストは一体どこに消えたのだろう・・・

折戸から先は住宅地の中を突っ切るように廃線跡が延びる。
もちろん遊歩道として。
終点の旧三保駅も公園となりこの地域の住民の憩いの場となっている。

ぽつんと置かれた構内入替機と日本軽金のタンク車が寂しげである。

レールも駅舎もまったく無い三保駅跡。
ここから見える「三保造船」のクレーンは昔と同じ姿なのだろうか? それとも昔とは異なる姿なのか・・・三保駅に降り立った事の無い私にはわからない。

ちなみに、「鉄チャン」だった小学生は高学年の頃に吹き荒れた「スーパーカー・ムーブメント」に飲み込まれ「車オタク」へと宗旨換えし、その後ただの「バイク馬鹿」となり今に至っている。
----お礼----
「思い出の鉄道・国鉄清水港線」のページに直リンクを許可いただいた「テツ」さんにこの場を借りてお礼申し上げます。 テツさんのホームページはこちらです。 |